


写真展に行くために、午後3時に家を出た。
少し降り始めた雨。坂を下る。
坂の終わりのT字路。杖をつき、ぴょっこんぴょっこんと跳ねながら、すこしづつしか前に進めない男性に出会った。駅までは、僕の足で5分。彼もきっと、駅まで行くのだろう。大変だな、と思いながらも通り過ごした。駅の近くまで行った時、雨は強くなった。きっと、あの人は傘をさしていない...。
たまらなくなって、引き返した。
やっぱり、強い雨の中、あの人は、ぴょっこん、ぴょっこんと跳ねていた。
一緒に、駅までひとつの傘。運悪く、少し小さめの。
『私は、とっても遅いので申し訳ないので、先に言ってください』
と遠慮する。当たり前ながら豪雨の中、見捨てて行けない。気を使わせて申し訳ないと思い、傘使ってくださいと言ったところ、左手も使えないということだった。
せっかく、出会った訳だから、少し話しを聞いてみた。桜上水から電車に乗って、ここ(三鷹台)の身障者の作業場まで来ているそうだ。施設を出る時に降っていたら、カッパを着たんだが...と。雨が降ったからといって、すぐその場で、着る事ができないようだった。
雨は、容赦なく降った。やっとのことで駅までたどり着き、エレベーターに乗った。その中で、何度も何度も、ありがとうございましたと...。
改札で、別れた。
いい事をしたなんて思っていない。誰だって、あの場にいれば同じことをするに違いない。 感じたことを書きたかった。うまく言葉に出来ないけれど、何かを書き記したい。なんだろう...。
現実は厳しい。いつも、4分で歩くあの道を、あの人は、息を切らせて15?20分?かけて歩く。もし、周りに人がいなかったら、あの雨の中、びしょ濡れになってぴょっこんぴょっこん跳ねて進まなければならない。それは、彼にとって、ほんの生活の一コマでしかない。その一コマを一緒に歩いただけで、僕は大きく何か胸に残る思いが、取り除けなくなっている。想像していたより厳しい。哀れみではなく、尊ぶべき人。きっと、景色も、時間も、人との繋がりも、孤独も、愛も、楽しみも、風も、音も、感じるもの全てが違うのでしょう。彼らの声、考えていること、創造、をもっともっと聞いてみたい、見てみたいと思った。
いつだろうか。身体障害者の働く施設での給食費が、有料になって、安い安い給料を超える給食費のために、施設に来れなくなった障害者がたくさんいるとのドキュメントを見た。とんでもない話だ。税金が、いらないダムに使われ、いらない道路に使われ、いらない保養施設に使われ、政治家や官僚のまわりに群がる金のことにしか頭がまわらない人々の元へまわされて行く。
拝金主義者の講演会に足を運ぶ人達、拝金主義の本を買う人達。”運用”という綺麗な言葉、労力も、物も作らないで、金が金を生んでいくことに僕は疑問を感じる。魔法にかかって抜けられなくなった僕たち。本当に信じることの出来るもの、本当に大切にしなければならないもの、を見つめたい。
--------
今日、見た写真展
マリオ・ジャコメッリ
http://www.syabi.com/details/mario.html
Black and white のみで描き出す彼の作品。
一枚、一枚、全てに立ち止まってしまう力が。
特に、ルルドでの、奇跡の泉で奇跡を待つ病人達の写真。
ホスピスで、人生の最後を過ごす老人達の姿。
絶望を前に、奇跡を待つ人々の表情。
死を目の前に、過ごす老人。
この二つは、人ごとではなく、全ての人に訪れる現実なんだと、ジャコメッリが僕に突きつけているようだった。
---------
今日の写真
上 図書館前
中 青山
下 西伊豆