以前の日記に書いたTibetTibetという映画で、
僕は、チベットの人達が、抽象的でなくなった。言葉も文化も違うし、直接繋がりをもっているわけではないが、彼らの受難を頭でなく、心で感じることができた。その後、今回のチベットでの事件が勃発した。
世界で起きている悲劇の一部が、運良く、日本の新聞や、テレビのニュースで知らされることがあっても、それは、抽象的で、心で感じることができない。
今日は、パレスチナ/イスラエル
http://nakba.jp/
この映画を見た。
断片的に知った、風景とユダヤ人とパレスチナ人のイメージ
イスラエル建国で、土地を奪われたのが、パレスチナ人
そして、停戦中の今も、戦いは、続いている。
これくらいの知識がなかったので、知りたかった。
ユダヤ人も、パレスチナ人も、僕には抽象的。
そこに、僕らと同じ感覚を持った人達が、生きていることを知りたかった。
占領を反対したユダヤ人もいたこと。
そして、今もたくさんの共存も望む人いること。
イスラエル建国の際に、虐殺があったことを知らないユダヤ人がいること。
ユダヤ人が、全て、占領を喜んでいるわけではないんだ。
市民の望みと違う方向へと国家が動くことが、多々あるんだ。
イスラエルで、占領を反対するイスラエル人女性が、兵士の前に立って、無言で手でピースマークを掲げて立ち尽くす。若い兵士は、その彼女の美しさと凛とした姿に、凍り付いたように立っていた。心が震えた。
以前、見た写真に、デモを鎮圧するために立っている若いイスラエル兵士の胸元に、アラブの女性が、赤い花をさしているというものが、あった。これにも、胸が熱くなった。
暴力に、暴力でなく、暴力に美しいものをあてがう。
憎しみを抱くロボットのような兵士達に、
心を取り戻すために、美をあてがう。
彼女達は、母の心で敵をも、見たのだろうか。
ここに希望があるように思う。
決して、悲惨なだけの映画ではない。
美しいものが、ところどころに見られる。
25日までなので、是非。
『遠い人々の悲劇は抽象的である。われわれにとってパレスチナは遠い。
彼らの受難を具体的なものとして受け止めるために、われわれはこの映画を見なければならない。パレスチナの人々の運命を、名前と顔を持つ友だちの身に起こったこととして感じ取らなければならない。広河隆一と彼らの何十年にも亘る親密なつきあいがそれを可能にしてくれる。』池澤夏樹