maia 2011 pic by Keiji
今日は、スウェーデンから、ニューアルバム発売の取材やメディア出演のために日本に帰って来た(厳密にはやってきた。なんだが)MAIAが、15ヶ月になる双子エッペとリサを連れて会いに来てくれた。玄関の階段を、一段一段、ママ、パパに手をひかれて上がって来るふたりは、階段の上にいる僕に、笑顔と不安の入り交じった顔を向けて見つめていた。可愛いい。その数十分後には、真っ赤なシャツを来たふたりは、僕の膝にも、乗って笑ってくれた。
WHAT I SAW / 私の見たこと。というアルバム。タイトルどおり彼女がこの数年の経験したことが詞となり、音となったものだ。母となって、作曲をし、レコーディングするなんてことは、並大抵のことではない。しかし、書かずにはいられなかった。やらずにはいられなかった。そんな衝動を感じる。
彼女の経験したことの中で、日本での滞在中に経験した3.11は、そのうちの大きな出来事のひとつになった。歌詞の中に、the whole world explode と書いている。世界の崩壊。それほど、大きな出来事のようにあの時思ったのだ。男の子と女の子のふたりの母となったマイアが、未来を見つめる上で、しっかりと自分の身に、そして世界に起こったことを刻みつけ、そして前進するのだと決意したかのようなアルバム。明るい未来を思い描こうと決意するようなアルバム。今日、マイアと一緒にこの作品を聞きながら心の深いところで解ったのでした。愛する人のいるスウェーデンに帰るまでの数日、僕は友人として彼女の傍にいた。出来れば経験したくはなかったけれど、あの世界が崩壊しそうだったの時間を共有したもの同士の特別な絆が強く結ばれていると僕は思っている。
たった2年しかたっていないけれど、遠い遠い過去のような気がする。それは、忘れるほど遠いということではなく、3.11以降の一日一日がどれだけ長かったかということだ。愛する人、友人、ホームタウンを失ったひとにとっては、まだまだこれからも先の見えない長い道程が続く。僕には何ができるのだろう。そんなことを、考えながら、もう2年が経つ。そして、やっと、アルバムが出来る。今、マスタリング中だ。演奏も、ミックスも、マスタリングもひとりで。一度完成しそうだと思っていたけれど、なかなか、出口が見つからず時間がかかってしまった。
目に見えるように役に立つことなど、この無力で、小さな僕には出来ない。悲しみの中にいる人、重苦しいこの世界に、本の間から、ポロッと落ちる押し花みたいに、ただ存在するだけで、気持が軽くなる、少し楽になる。陽の光が射す、そんな感じがする作品を、世界の片隅で産み落としたい。たったひとりでも、そう人がいてくれれば満足だ。そんな気持でやり続けてきた。
彼女からアルバムの歌についてあることを聞いた。
それは、僕をとても感動させて、言葉をつまらせてしまった。なにも言えなかったけど、
彼女にありがとうを言いたい。
MAIAには、WHAT I SAWが。
僕には、FLIGHTというアルバム。
規模はちょっと違うけれど、これが、今の僕。
あと、少し、頑張ります。