復興ではなく再生なら・・・。
NHKで見た、阪神大震災で子供を失ったある母親の言葉。
「復興とは、はるか(震災でなくなった子供)がいて出来ること。あの子がいない今、再生という言葉なら受け入れることができるけれど、復興は・・・」
僕は、神戸で育った。豊中市で被災した。怪我はなかった。実家は香枦園。あのバスが半分高速道路から落ちかけていた現場が見える場所だった。家族、親戚は被災したけれど、幸運にも大きな怪我などもなかった。家の下敷きになっている人がいるかもしれない街の中を、50CCのバイクで家族、親類の無事を確認するために走利続けたのを覚えています。あんなに悲しい真っ暗な空と月は見たことがないなあ。
地震を経験をしたけれど震災のことを思い出すのは、地震が起きた時、新潟での地震、スマトラ、、、とニュースを知った時くらい。でも、家族を失った人は、一日に何度も思い出すのでしょう。
僕は、震災がある前から決めていたため、震災の年の4月には、上京していた。そのことは、ずっと、なにか後ろめたい気持ちを持っている。神戸のために何もしていないこと。被災した人々のほとんどは、再生へと努力をこの10年してきた。僕は、被災直後に、その場所からピョンと出てしまって何もなかったかのように暮らした。それは、僕の愛する故郷を思う気持ちを語る権利がないように感じさせる原因になった。
両親、兄弟とも上京した今は、帰らなくなった。この十年、何度か帰り、東灘区阪急御影北側、御影北小学校の隣にある祖父母の墓参りをしたのだけれど、、変わった街並、そして高台にあるその墓地からを見る生まれ故郷を見ることが僕を言葉に言い表せない気持ちにさせた。でも、全て事実。幸運にも家族は無事だったこと。被災地を出て、上京したこと。自分に精一杯だったように感じる。
神戸の再生に、参加できなかった僕だけれど神戸を思う気持ちは、やはり変わらない。あの街を愛している。山から海へと繋がるあの坂道、御影石で積み上げられたあの長い長い塀は、コンクリートに変わってしまったけれど、思い出の中に消えることはないし、変わらないあの匂いがある。なにか、役に立てることはないか。10年を節目に、もう少し、素直に神戸を想うことが出来そうだ。
不幸に見舞われた、人々、神戸だけじゃなく、世界中で・・・
その人達の気持ちを少しでも、感じることの出来る人であり、
祈りたいと思います。
1.17.2005