去年の暮れに、音楽の仲間がまたひとりまた亡くなっていたことを今日の午後に知った。
彼は、あるレーベルのディレクター。
彼とは、彼の最後になってしまった、2つの仕事を共有した。
ひとつは、千葉ロッテマリーンズの応援歌をRISKが、僕のアレンジで歌った時。そして、もうひとつは、NirlGirlのアルバムのサウンドプロデュースした時。
強烈な個性を放つ彼のことを最初はとても苦手だった。あまりにも、僕のことを持ち上げ調子が良いように思っていたのだ。しかしながら、後で知る事になるのだけれど、彼は、僕のバンド、the primrose のabyssalのリリース時に、woodstockという流通会社にいて、その作品を気に入り、何年も聞いてくれていた。そして、あの曲のここで、こういうふうにギターが入ってくるとか、僕が忘れていることさえ知っていて、本当に心からリスペクトしてくれていたのだった。
2009年、7月19日、RISKとスタッフと僕は、千葉ロッテマリンスタジアムへ行った。試合は見事、ロッテが勝利し、RISKは、特設ステージでライブを行い、マリーンズのファンの人達の心を掴んだ。そして、RISK版の応援歌は、ファンとともに大合唱された。その時、彼の後ろに立っていた僕は、彼の肩をたたき、「よかったですね」と親指を立てた。いつもメンバーについて辛口だったが、振り向いた彼の目に涙が光っていたことを僕は忘れない。あの日の風。あの日の空。全てが今でも、鮮明に思い出される。
2010年、冬。彼と僕とNirlGirlのメンバーは、八ヶ岳のスタジオにレコーディングのために篭った。皆、一つの屋根の下で、寝起きを共にした。アーティストのことを思うが故に、その体当たりの言動は、時として人には理解されないほどの強烈なものとなり、時にはそれが空回りして、肩すかしを食って時々寂しそうに、ひとり目映い雪が、すぐそばにあるリビングのストーブの近くで、ひとり背中を丸めてコーヒーを飲んでいた。そんな姿を見て、静かに傍に座って何気ない世間話をしたのだけれど、この人は深い孤独を抱えている人なんだと思ったことを覚えている。
彼は、強烈に人との繋がりを欲していた。しかし、そのやり方はいつも不器用で、まるで人間魚雷のように裸のまま突っ込くようでもあり、鎧兜(よろいかぶと)を着込んで叫ぶようでもあり、子供のように満面の笑顔を添えて臨むこともあったり、その彼の行動に人が戸惑い、彼への反応に傷ついていたのかもしれない。ガキ大将のようであり、だだっ子のようでもあり、漫画に書いたロックンローラーのようでもあり、寂しがりやの子供のような人だった。そんな、不器用な彼を、僕は失礼ながら可愛いと思っていた。
なにかの拍子に、歯車のたったひとつの歯が欠けたことで、全てがぎくしゃくして最後には命の灯火さえ消えてしまうにまでなるとは、運命ってそんなものなのかと、今更ながら驚いている。いや、彼の場合は、回らなくなった歯車を、無理矢理回してすべてを壊してしまったように思う。
最後に会って、半年の間、彼は東京でどんな旅をしたいたのだろう。時間を取り戻す事は出来ないけれど、その旅の中でもう一度会えなかったこと、会おうとしなかったことを悔やまずにはいれない。
写真は、彼とともに見たマリンスタジアムの空。Perfect Day だった。そうだ、ふと思い出した。お酒を飲まない僕だけれど、あの日、飲みたくなってビールを飲んだ。自分から飲んだビールはあれが最後だったように思う。
山さん、いろいろあったけれど、みんな貴方を愛していましたよ。今は、きっと解ってくれているよね。楽しい想い出や多くの人との繋がりをありがとう。
ご冥福をお祈りします。
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