幼い頃の記憶。父親の弟、つまり叔父のこと。とても小さい車、初代マツダキャロルが置かれた京都桂川の辺りの家。叔父は父親に比べてまだ若く、そして奥さんもとても綺麗な方だった。
叔父の仕事は友禅の絵師。部屋には、たくさんの筆と染料の入ったお皿がたくさんあったような。これらの記憶は後から装飾してしてるかもしれないけれど…。
そこに、今から思うと、tweetyだっけ?のような(笑) 丸顔で、髪が柔らかで全部空に揺らめいているような、従兄弟がいた。ゆうちゃんと呼んでいた。もう一人こうちゃんという年の近い従兄弟とがいて、同年代で(と言っても5,6才とかだが)友達のように、少し下のゆうちゃんは二人の弟のような存在だった。
その後訳あって、ずっと会えなかったのだけれども、五年前に再会したゆうちゃんは、髪もしっかり生え、身長も僕をゆうに越し、そして丸顔だったのが、すっとした長い顔に!(笑)そして、彼は叔父の意思を継いでいた。父を師匠にし、友禅を学び、そしてそれをまた新たに現在進行形のものとするべく力を注いでいる。
そんな、幼馴染とも言える彼の活躍を、この年になって知ることは喜び。今日は、そんな彼の参加する展覧会に行ってきた。
東雲(しののめ) とタイトルされた、暗闇から日が登る時を表現された着物絵柄。本物の手染めの着物。そしてそれと対になるフルデジタルで表現された友禅の絵柄の歴史を内包したファブリックデザイン。
6枚の絵柄がワンセットなのだけれども、その中の、赤い空を舞う鶴に釘付けになった。30cmほどの中にトリミングされた何羽日の鶴の図柄は、僕の頭の中で、何百羽にもなって大空を舞った。
微妙な色合いの赤はとても脳内で鮮やかに輝いて、まるで何度も何度もフィードバックするように巡った。ミニマルとはこういうことかとも思った。完全な、デジタルでの表現は、使いようによって一片を見せる事によって永遠をも見せる事ができるのかと。
エスキモーに、雪の色が、白だけだはなく、その微妙な違いそれぞれに名前があるように、赤にも、いくつもの美しい色があるということ。それらを意識し、着物という当時、最高のモードだったものへと絵柄を施した絵師。
ゆうちゃんは、それら先人の意思を受け止め、伝統工芸品として収まるのでなく、なんとか活き活きと先人の残したセンスを、粋を、心意気を残して行こうとしているのだと、感じた。身内のことで、少し気がひけるのだけれど、、、こんな風に日本人のアイデンティティーを意識している彼にリスペクトを。
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「京都の赤展」24(月)まで。代官山にて。京友禅(布)、西陣織(糸)、清水焼(土)、木版画(木)など、様々な画材や色素で表現した凝縮した赤を「体感」していただければ。
詳しくは
http://bit.ly/cVaWkw