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infected dream

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 十数年前、歌いたいという想いを実現するためにthe primroseを創った。想いとは裏腹に、自分の歌に自信がなかった。それでも、人前にさらすことでの人からのフィードバックと、録音したものを聞いたりして自分なりに少しずつ理想に近づけるように努力した。東京へ出て来ての1年は、公園や駅前で。スタジオにも出かけたけれど、空の下で歌うのは楽しかった。あの頃は、がむしゃらだったなって思う。

 そんながむしゃらに歌ってた頃、発声の手ほどきを受けるチャンスを頂いた。それも、クラシックの声楽の先生。奈良有規先生。我流で声を出して来た僕の歌を暖かい見守るような眼差しで微笑み、発声のための体の使い方を、言葉でも説明されるのだが、まるで人がテレパシーやオーラと言うようなもので伝わってしまうような伝え方で教わったような心地だった。ほんの数回だけのレッスンだったけれど、歌を歌う時、その時のことを思いださずに歌うことはない。そこで、教わったことで、自分の歌に基軸が備わったと思う。よい歌が歌えているかどうかは、その基軸によって自分なりに判断ができるようになった。調子が悪くなった時、心が凛としない時、そのレッスンの時の声の出し方で、発声すると少し良い方向を向く。

 その先生が、先月29日の早朝に亡くなられた。癌を煩い、闘病されていた。年内もつかどうかと、聞かされた時、お会いしたいと思ったのだけれど9月頃からはご家族とほんの近しい人達とだけ会われていたそう。お手紙を書こうかと思ったりもしながら、日々の忙しさに流されてしまって先延ばしにしていた自分がとても情けない。病床で、僕のことをどうしているのかと、気にかけてくださっていたことをも聞いた。今更ながら、後悔で一杯。

 そして、兵庫の西宮での通夜、告別式にも、仕事で出ることが出来なかった。通夜の日は、プロデュース中の岩瀬君のレコーディングのための最終アレンジ詰めのためのスタジオ。告別式の昨日は、CMの音楽のための編曲。なんとか行こうと努力をしたけれど、どうしても時間が作れなかった。変わりの人では出来ない仕事。やりがいのある仕事であるけれど、責任も大きい。どうしようもなかったと自分にいい聞かせるけれど、最後のお別れにさえ行かなかったことが悔やまれる。告別式の時間に、感謝の意を込めて、声を出してみた。歌ではなく、ただただ、音階を。先生から教わった発声練習を...。西の空は、朝だというのに、夕方みたいだった。

 ほんの数回だけれど、先生から教わったことは、僕の歌を変えた。歌う度に、先生が僕の中で生きいるようだ。これからも。何百人、何千人の人に先生の想いが今でも生きている。とっても素晴らしいことだ。いつか、僕がこの世から去るときに、そんな風に、財産を残して行けるだろうか。儚いものではなく、心有るものを残して行けるだろうか。

 窓の外を見たら、桜の葉が、赤く染まっていた。たくさんの葉が落ちていた。切なさと美しさ。この冬も、特別な冬になった。

先生のご冥福をお祈りします。
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by kkkr | 2007-12-04 01:34
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